2流博士の爆走

在独博士研究員の日常を書いていくブログです。

30代ポスドクの就活

ポスドク1年目(2014年)に予防線として就活サイト(dodaリクナビネクスト)に職務経歴書を提出、公募に対してエントリーするも基本的にES通過はなし。特許事務所の面接に通過するもののお祈り。

 

留学の間は特に企業就活には心が傾かず、経歴書のみをアップデート。

 

2018年、10月、dodaにて職務経歴書をアップデート。正直、何回アップデートしたかわからない。コツコツとアップデートが企業に見てもらうコツか。

企業へのエントリーも何度やったか覚えていない。覚えているだけでも、東レ、出光、味の素、三菱、東ソーなどなど。マッチング率は高かったと思うけれど、お祈りされる事が多数だった。

 

正直、企業は本当に公募にマッチした人間しか面接にまで上げないような気がする。

 

そんな中、某化学メーカーからヘッドハント(後に開示します)。こんな事なかなか無いのですぐ食いついた。


1次面接→生産技術研究所のTLの方2人と人事担当者。これまでの研究について、志望理由、安全に関する理解など、ほぼほぼ自分が思いつくような質問が来た。その中、触媒研究所へのシフトを勧められ、別日にて面接。


2次面接→生産技術研究所のチームリーダー二人と人事担当者で面接。質問がよりテクニカルで、これまでの研究内容に対する鋭いツッコミがあったものの受け答えはできた。

安全管理に対する意識、学術界との違いの理解、泥臭い仕事への抵抗感について等質問を受けた。

一週間以内に結果報告、合格。


3次面接→研究所にて最終面接。企画部部長と研究所長、人事担当者。これまでの経緯と、アカデミックから企業へのシフトに関する質問。目を見てしっかり話をしていた印象。内定をいただく結果に。

 

総じて留学経験による海外研究室での教育経験や共同研究経験もプラスになったのではないだろうか?

 

年齢が30代中盤ということで、大学の助教ポジションは嫌われるようになってしまった。しかしながら、企業はまだまだその受口を広げていてくれている。

 

自分がこれだ!と思う芯があって、その研究対象について邁進していれば、見てくれている人は必ずいると信じている。

 

ポスドク経験を経て、アカデミックポストに限界を感じたとしても、未来は必ず開けるのだと強調したい。



大学への化学①

皆さまこんにちは。ドイツで研究生活を続けております、が、終わりが見えてきました。先日、センター試験がありましたね。結果によっては進路を変えたり、という事があるのではないでしょうか。

 

さて、今回は大学への化学と題しましたが、高校での知識と大学での実際の研究と異なる点について少し述べていきたいと思います。

 

私は現在、有機金属化学をメインに研究を行っています。え?有機ってベンゼンとかでしょ?なんで金属が出てくるの?なんてよくある話です。興味がありましたら下記を参考にしてください。

 

ja.wikipedia.org

 

私は学部では機能性有機材料(有機合成)、修士から有機金属触媒を専門にずっとやってきました。そこで、改めて高校の化学分野(有機)に注目して見てみますと。。

 

・元素分析は自分で水の重さやらを量ったりしない。測定専用の分析官の人が居たりするので、自分は綺麗にしたサンプルを提出するだけ。

・元素分析から出てきた値を参考にして炭素数や不飽和度から構造を決定したり…しません。核磁気共鳴法(NMR)という手法を使って構造を決定します。他にもX線を使った構造解析なんてのもあります。

有機合成→精製との戦い。カラムクロマトグラフィーなどの分離技術によって化合物を精製、原料のNMRと比較して何ができたかを予想。

 

こうしてみてみると、高校化学は本当に初歩の初歩なんだなと改めて思い知らされます。初歩だけれども重要。でもこうして有機合成に特化して修士、博士を卒業すると高い確率で製薬企業やメーカーの研究職に就職できます。

また、論文を稼いでいればアカデミックの道も見えてくるのではないでしょうか。

 

センター試験で失敗した・・・なんて思ってもそこで腐らないでくださいね!それをリカバーするだけの点数が二次試験で取れるかもしれません。

 

思ったよりも良い私立に引っかかったり、なんてこともザラにあります。蓋を開けるまで分からないのが人生ですので、楽しむ位の勢いで頑張ってください!Viel Spass!

 

化学系研究者を目指す為にー①

皆さんこんばんは。今回は、職業として化学系(研究職)を目指すための指針として、筆者が辿ってきたルートをご紹介いたします。

  1. 理系選択(物理化学取得)
  2. 大学入学(応用化学専攻)
  3. 大学院修士課程入学(応用化学専攻)
  4. 続く。。

ざっと見てしまえば、3まで辿ることができれば大体化学系メーカーに就職できるのではと思います。

筆者の後輩たちもおおよそ修士課程まで卒業してから、各々好きなメーカーを志望し、社会人になっていっております。

逆に、学部卒でいわゆる大手化学メーカーに研究職として就職している例は少なかったように感じます。

少し話を飛ばしてしまいましたが、一つずつ説明していければと思います。

  • 理系選択

高校二年次に、文理選択がありました。モノづくりがしたかった、という単純な理由から理系を目指しました。この時点では情報工学に目線が向いていました。

理系科目は、化学、物理を選択。当時の化学IB,IIと物理IB,IIを取り、数学もⅢCまでやりました。今は数学Cはないみたいですね。

英語が実は得意で、偏差値的には70らへんをウロウロしていました。飛び抜けてできる訳でもありませんでしたが、得意だと思いこんでいました(笑)

 

  • 大学入学(応用化学専攻)

現役時に入試は失敗…理系科目を浪人でカバーし、最難関とされる私立大学に合格。ホッとしたのも束の間、大学の化学と入試化学の違いに苦戦。

無機化学は複雑化、理論が重要に。熱力学は物理化学として立ちはだかり、有機化学は高校化学とは全く異なる内容です。

応用化学専攻のため、高分子化学や生化学なども実験で行うことに。

四年次には研究室配属。研究室の生活についてはまた別記事にて述べたいと思います。

 

実は、大学院も入試があります。不勉強だと普通に落ちますし、勉強すればロンダリングも可能です。

大学院修士課程では研究室中心の生活になりますが、授業も特論というより深い内容の授業になります。

秋口から授業も少なくなり始め、冬になると就活が始まります。就活と研究室生活を並行してやらないといけないので、てんやわんや。

が、とある研究室では就活を邪魔する教授もいるそうです。とんでもない事ですが、実際にあり得ることです。

修士課程の最後には修士論文を執筆します。これまでの集大成ですので、夜遅くまで論文のための実験をしたり、データ集めをしたりと忙しそうにしています。

無事卒業後、企業の研究職に就くことになります。

が、、博士課程という茨の道へと進む猛者もいます。それについてはまた後日語りたいと思っています。

 

みなさんの役に立ちますように…

デュッセルドルフという誘惑

こんばんは。2流博士です。そんなことを言いつつも、仕事をやめる前にキチッと論文を仕上げております。

 

さて、今日は母校のOB会に参加してきました。外国で幅を利かせているなんて凄い。去年はバーベキューにも参加させていただきました。

 

あまり日本に在住しているとデュッセルドルフは聞き覚えがないかもしれません。

 

が、ドイツ在住でデュッセルドルフの名前を聞かない人はいないと言っても過言ではありません。

 

なぜかと言うと、領事館を筆頭に日本の企業が支店を置いている確率が高く

 

日本人の駐在場所として非常に有名なのです!

 

そうするとどういうことが起こるか?アジアマーケットや日本食のお店が一気に増えるのです。

 

その一大拠点がミュンヘンでもなくフランクフルトでもない、デュッセルドルフなのです!

 

デュッセルドルフはノルトラインーヴェストファーレン州のほぼ中心にあり、ルール工業地帯の一角をなしています。

 

今日はそんな街でOB会という事でお腹を空かせて参加してきました…そこでは

 


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こんな良質なお寿司がたべられます。日本ではく○寿司位しか行ってなかったので大満足!

 

くじ引きもしっかり当て、ホクホクしながら帰路についております。皆さん、ドイツ在住の機会がありましたら是非。

 

ちなみに、観光ではオススメしません(笑)

理系博士のキャリアパスー博士卒から

この間の記事の続きです。

分野が違うかもしれないので、、私はいわゆる化学系のポスドクです。生物系、物理系では話が異なりますのでご注意ください。

 

私は自分で言うのもなんですが、学歴としては悪くないと思うキャリアを歩んできました。(2年ほど遊びましたが)

博士課程卒業時には論文三報、学会賞は一つ。まぁ、普通ですね。通常、卒業時点で優秀な学生にはお声がかかります。教授と仲が良ければ斡旋なんてことも普通にありえます。

が、私は優秀ではなかったのでしょう。お声はかかりませんでした。卒業後は、共同研究先の某細胞を産み出した研究所に博士研究員として所属しました。給与は月に額面32万円、そこから家賃諸々が引かれ、手取りは18万くらいだったかと思います。ボーナス?んなもんあるわけ無い。大学の同期は結婚ラッシュ。見てみないふりをする。

そこの暮らしも楽しかったのですが、9-22時の生活が強いられていました。一年半経った頃、先の事も考えろという天の声もあり、海外への留学を決意しました。その時点で論文四報。今振り返ると、後輩の研究にもどうにかして食い込み、共著を得るのが正攻法だったのかと思います。

 

留学先は今の所属先であるドイツの大学。

 

教授から、学振の海外研究員のファンドを取ればその分いていいよと打診されました。

 

ちなみに、海外学振は調べると狭き門の様にも感じられますが、2016年時点でその倍率は15%程です。国内の特別研究員の倍率が5%であることを考えると、実は海外学振は狙い目です。

 

書類の書き方も将来的に上げたいな〜と思っています。正直、書類を見てもらえた事が無いので(忙しい!と断られていました)…ほぼ自力で取ってました。コツはあります。

 

そんなこんなで、面接もなく完全通過で海外学振を得ることに成功しました。ドイツ生活初年度は今のボスからお金を得ていたので、2年目から海外学振を使うような形で渡航しました。

 

人に歴史ありですね!書類作成のコツ、企業面接のノウハウ等は後々しっかりと書いていきたいと思います!

 

 

理系博士のキャリアパス

連投で真面目なことも書きます。

私は博士です(急なマウント)。

博士といえば、昔は「末は博士か弁護士か」なんて言われてたくらいレアだったそう。

今?

かき捨てるほどいますよ(ニッコリ

ちなみに、論文がない博士は大学の教員職には就けません。

じゃあ博士取って教員職に就けない人はどうしてるのかって??

ポスドク、という修行期間を経て論文や学会発表の業績を増やすんですよ。

これが闇。ホントに。

ちなみに、私も教員職受けました。論文も同年代からしたら比較的持ってるレベルです。

学会での賞とかも三度もらっています。

が、結果は書類落ち。

理由は、年齢でした。

その先生が退官した後の責任が取れないから、だそうです。

業績とかじゃないんですよ。ただの手前の都合です。

そんなこんなで見切りを付けて私は企業への道を歩み始めたのでした!

就活編についてはまた後日書きたいと思います。

ドイツ ミュンスター

皆様、ミュンスターというドイツの地はご存知でしょうか?(^^)

ミュンヘン!知ってるよ!って言われます。

ミュンスター!!です!

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もうこの時点でどこか分からなくなったでしょう。そりゃ、自分もドイツ→バイエルンのイメージだったので。

ミュンスターはドイツの北西部に位置している都市で、この辺一体では中心になっている街です。

個人的な感想としては、大きい地方都市って感じですね。地元だったらいいなーって感じです。

1648年のウェストファリア条約が締結された場所としても有名です。

ちなみに、、地球の歩き方では1ページしかありませんでした…(;_;)

それもそのはず、大戦の際に連合軍にボコボコにされ…市街地は壊滅してしまったそうです。

元々は城郭都市(進撃の巨人の街の様な)だったのですが、それも壊されたみたいですね。

住むには良いところ。観光には不向き、って感じですね。

みなさんも是非調べてみてください!